No.37

2013-03-26

六甲音波株式会社

代表者
鼻野浩昭
創業
1965年
業種
各種イベント企画、出張音響PA、アナウンス録音製作
住所
神戸市灘大石南町1-5-1
電話
078-882-0212
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地元の賑わい創りを支える仕掛け人

灘区を南北に貫き、六甲山系から神戸港に注ぐ都賀川。その下流域、灘区大石南町の一画に六甲音波株式会社の本社ビルがある。
 同社は主に商業施設のイベントやセレモニーの企画から会場設営まで総合的にサポートする地域密着のイベントプランナー。神戸市内の市場・商店街の夏祭りや歳末セール等の各種イベント会場で、六甲音波のスタッフジャンパーを目にする機会も多い。
 しかし、同社のルーツは、社名でもわかる通り、音響関係の仕事である。創業者は、前社長の鼻野正昭氏。同氏は神戸市内の繊維商社に勤めていたが、音響関係の機械モノが好きで、昭和40年に六甲音波を創業した。

 当時は、まだ有線放送が普及しておらず、店舗や公共施設に放送機械とBGMテープのレンタル・販売を始めた。また、自前の録音スタジオを活かし、CMテープや官公庁の館内アナウンステープ等を録音制作。大阪万博日本館の館内放送テープも担当したという。さらに、大手ファストフードチェーンの関西エリアにおける店舗放送やドライブスルーの放送機器工事も一手に請け負うなど、「音作り」の業容を拡大していった。
 息子で現社長の浩昭氏は、父親の影響で音響機器に興味を持ち、大学卒業後、神戸市内の大手音響設備メーカーに就職。「大企業という組織の中で経験を積み、世間を知りたかった」と浩昭氏は語る。その後、父の社業を手伝うため、昭和61年に六甲音波に転職。浩昭氏の入社をきっかけに同社はイベントプランナーの道を歩み始める。

 それまでも同社は、市場・商店街等との付き合いの中で、「CMテープだけでなく抽選会をアナウンサーが実況して欲しい」「場内で寄席をしたいので落語家を呼んで欲しい」「ステージや看板も作って欲しい」と様々な要望が寄せられ、それに応える形でイベント関連の業務も手掛けはしていたが、主力はあくまでも音響関連事業であった。
 しかし、鼻野社長は、「父親が敷いたレールの上を走るだけでは面白くない」と考え、イベント事業の拡大に舵を切っていった。
 予算が潤沢ではない市場・商店街。限られた予算の中で最大限に喜んで頂けるよう「ありったけの知恵を絞り出し、常に期待を超えるような企画の提案を心掛けて来た」という。こうした日々を「格闘のようだ」と表現する。

 苦労話も枚挙に暇が無い。カブトムシドームを作るイベントを企画した時は、前日に取り寄せていたカブトムシ200匹が輸送箱のケースをこじ開け一匹残らず夜間に逃げてしまった。翌朝気付いた時は「全身の血の気が引いた」という。急遽、ホームセンターやペットショップでカブトムシを買い集め、無事開催出来たものの、結果は大赤字。何より「クライアントとの契約は絶対。迷惑は掛けられない。生きた心地がしなかった」と嘆息した。

 また、ミカンの数当てゲームを企画した時には、皿にミカンを盛るだけではインパクトに欠けるため、淡路島でミカンの大木を購入。根っこから引き抜いてフェリーで運び実行した。「ショベルカーまで動員して、大変な苦労だったが、都会の子供達にミカンの木の実物を見せてあげたかった。お客様の滞留時間も長くなり、親子連れの会話も弾んでいた」と嬉しそうに語る。
 「パソコンゲームが普及している時代だからこそ、子供には自然とのふれあいを通じて様々な体験をして欲しい。親と子、そして子供同士のコミュニケーションを増やす機会にしたかった」と企画の意図を話してくれた。

 イベントを通じて市場・商店街との深い繋がりをもつ同社だが、それを一層強固にする契機が予期せぬ形でやってきた。平成7年の阪神・淡路大震災だ。復興に動き出すまでの間、仕事は激変し、年末の売上回収もままならず、従業員には給与の一部カットを我慢してもらいながら、被災住宅のブルーシート掛けや夜間の防犯見回り等の仕事で凌いだ。震災の影響が少なかった神戸市外の得意先の音響関係の仕事も会社を支えてくれた。

 震災から約半年後には、一転して商店街の復興イベントの仕事が次々と舞い込み、寝る間を惜しんで奔走した。その中でも、「甚大な被害を受けた兵庫の菅原地区や長田地区の復興イベントや記念セレモニーに多く携われたことは、非常に嬉しかった」と当時を振り返る。そして震災から2年が経過した平成9年、父・正昭氏は、苦しい時代に先頭に立って会社を引っ張った息子・浩昭氏に社長の座を託した。近年、景気の低迷を受け、大手広告代理店が、これまで見向きもしなかった商店街やスーパーまで進出してきた。また、印刷業者や折り込み業者など、異業種からの参入も相次ぎ、イベント業界の競争は激化する一途だ。

 しかし、鼻野社長は決して悲観はしていない。「デジタル化された時代こそアナログ的な企画が生きる。イベントの成功の秘訣は奇抜さと実体験」と持ち前の企画力に一層磨きを掛け、他社との差別化を図る一方、「イベントの売上は、季節によって波があり、天候や時変によって左右される。製造業の一面を持つ音作りの仕事にもこだわり続けることで生き残りを賭ける」

 鼻野社長の好きな言葉は「一期一会」。「子供達にとっては、夏祭りの金魚すくいも時には一生の思い出になる。また、除幕式や記念式典はやり直しが利かない。その大切な瞬間のために誠心誠意を尽くしたい」と熱く語る。地元の賑わいづくりを支える仕掛け人として、鼻野社長の「格闘」の日々はこれからも続く。

(経営指導員 鍛治町明子)