No.25

2012-08-07

髙田屋旭店一色屋

代表者
竹鼻美智子
創業
1926年
業種
居酒屋
住所
神戸市灘区水道筋1-32
電話
078-801-5822
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親子4代、心を掴む接客で、居心地の良さを追求する老舗酒場

 「灘の酒」のお膝元、灘区水道筋商店街、その一角に昭和の香りを漂わせる老舗大衆居酒屋「高田屋旭店一色屋」がある。

 かつて神戸には、酒造会社が自社銘柄のお酒を普及させるための直営店舗、「宣伝酒場」と呼ばれる酒場が数多く存在していた。「高田屋」は灘の蔵元「金盃酒造」の宣伝酒場の屋号。初代竹鼻義夫氏が酒場経営の修行を積んだのもその一つである「高田屋旭店」だった。厳しい丁稚奉公を経た後、昭和の初め頃に「一色屋」の屋号を加えて暖簾分けを許され、水道筋近辺に自らの店を構えた。以来80有余年、親子4代に亘ってその暖簾を守り続けている。

 現在、店の大黒柱は、4代目の林慈志(やすし)氏。3代目竹鼻則文氏の娘婿で、療養中の則文氏に代って店を切り盛りする。3代目夫人の美智子氏も代表として若い慈志(やすし)氏を支えている。

 年季の入った特大の暖簾をくぐると、「昭和」にタイムスリップした感覚を覚える。店内は、古き良き正統派居酒屋の風情で、カウンター席とテーブル席を合わせて30席以上あり、ゆったりと落ち着いた空間が広がる。

 来店客も、自営業者、商店街関係者、近隣住民、サラリーマンなど様々。週末には、六甲登山帰りの老若男女が、近くの銭湯で汗を流した後に立ち寄ることも多い。常連客は高年齢者の割合が多いが、慈志氏が引継いでからは、若い年代の客も増え、幅広い年齢層から支持を得ている。

 慈志氏は、お客との関係づくりを第一に考え、「心に響く接客と気配り」を強く心掛けている。特に、お客一人一人に対する積極的な声掛けは欠かさない。ほろ酔い気分のお客には、帰り際に「気を付けて帰りや」と優しく送り出し、飲み過ぎの常連客には、健康面を心配してお酒の量を控えるよう諭すこともある。「一人でも気軽に楽しめる店作りを心掛けている」と語る慈志氏は“おひとり様”のお相手もお手のもの。一見客から常連客まで分け隔てなくフレンドリーな接客と巧みな話術で話を弾ませる。

 「特別なことはしていない」と謙遜するが、「宣伝らしい宣伝はしたことがない」という「一色屋」が、何時も変わらずお客の賑わいで溢れているのも、慈志氏のさりげない声掛けから伝わる心遣いがお客の心を惹きつけているからに他ならない。それは、大手居酒屋チェーン店では真似の出来ない、家族経営の個店ならではの魅力でもある。

 親子2代で切り盛りする息の合ったオペレーションで、注文から料理が出るまでの時間が早いことは、当店の強みである。メニューは常時40~50品を用意しており、朝から仕込んだ典型的な「酒のアテ」が並ぶ。価格帯もリーズナブルで、酒好きの期待を裏切らない。

 創業当初から続く自慢の逸品は「自家製おでん」、長時間かけてホクホクに煮込まれた肉厚の大根に、厳選した白味噌をかけて食べるのが「一色屋」流。「毎日ご来店頂く常連さんにも飽きが来ないよう」と慈志氏は、日頃からメニュー構成への工夫に余念がない。年齢層が高いリピート客の為に、魚や野菜のメニューも豊富に用意している。

一時期、焼酎ブームで日本酒の人気が低迷する時期もあったが、「最近、また日本酒が戻ってきた」と慈志氏。日々工夫を重ねながらも、時流におもねることなく、「宣伝酒場」の流れを汲む居酒屋の持ち味を活かし続ける「ぶれない」経営姿勢に、老舗の誇りとこだわりが垣間見える。

 創業以来80年続く老舗居酒屋ともなれば、馴染み客も多く、世代を超えて通い続けるお客もいる。学生時代に通っていたお客が、神戸を離れて就職し、たまに神戸に戻ってきた時に立ち寄ることも少なくない。「ここに帰って来るとホッとする」「店が開いていて良かった」そんな声を聞く時、「商売を続けてきた喜びを感じる。何より嬉しい瞬間です」と、美智子氏は笑みを浮かべる。

 阪神淡路震災の被害が大きかった灘区、「一色屋」も店舗が損傷し、休業を余儀なくされた。店の将来も覚束ない、不安を抱えていた時期だったが、美智子氏は、「困った時こそお互い様」と顔を見かけたお客に、冷蔵庫にあった商品在庫を無償で配付していたという。約3ヵ月後に店を再開した際には、待ち望んでいたお客から、「あの時は有難う、店が再開して良かった」という感謝や喜びの声が届いた。困難な状況下でも、お客を第一に考えて行動する。そんな姿勢こそが、長年地域から愛され続け、「老舗」と呼ばれる所以であろう。

 大手チェーン店の出店攻勢や意欲溢れる新規開業者の参入など、飲食店業界の新陳代謝は著しい。生き残りを掛けた競争が激化する中、人口の減少、生活スタイルの変化、消費低迷といった問題も商売を難しくしている。家族経営の「町の居酒屋」を取り巻く経営環境は、年々厳しくなり、最盛期、灘区を中心に36店舗あった「高田屋」の流れを汲む「宣伝酒場」も、今では数えるほどしかない。

 昭和30~40年代の高度経済成長期、水道筋商店街は人で溢れ返り、「一色屋」も多忙を極めていた。経営者であれば、好景気に恃んで多店舗展開の誘惑に駆られるところだが、先代の則文氏は、頑なにそれを拒んだ。

 慈志氏も「店を大きくしなかったことが、今日に繋がっている」と先代の思いを受け継ぎ、無理な店舗拡大はせず、家族だけで切り回す、お客の顔が見えるアットホームで温かいお店を目指す。「日頃からのお客とのやり取りこそが重要。長い年数を掛けて積み上げてきたものが、時間を経て、実を結ぶ。この姿勢は、これからも変えるつもりはない」と断言する。

 力強く語る慈志(やすし)氏の傍らで美智子氏も「気楽に来て、飲んで、会話を楽しんで、その日の疲れを解消してもらえたら、それで十分」と静かに頷いた。一日の疲れを癒し、明日の活力を求めるお客が、今日も大暖簾をくぐる。

(経営指導員 小林和弘)