No.26

2012-08-07

伊藤グリル(有限会社伊藤グリル)

代表者
伊藤享治
創業
1923年
業種
飲食業
住所
神戸市中央区元町通1丁目6-6
電話
078-331-2818
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神戸で洋食を食べるなら

 異国情緒漂う旧居留地、神戸らしいハイカラさを残す神戸元町商店街、そして日本三大チャイナタウンの一つ南京町と、神戸を代表する地域に隣接し営業を続ける伊藤グリル。今年で創業89年を迎える老舗店である。

 同店の歴史は、現代表・伊藤享治氏の祖父である伊藤寛氏より始まった。日本郵船の欧州航路のコックとして修業を積んだ創業者の寛氏。仲間と共同で店を立ち上げた後、自身で元町1丁目に洋食店を開業。3席程の小さな店であったが、欧州スタイルで高級洋食を提供する店は、居住外国人や船員、貿易関係者に贔屓にされ、賑わっていたという。「当時は本格的な洋食店が少なく、お客様に愛されたお店だったと聞いています。しかし戦争が始まり、一度は疎開を余儀なくされました」と享治氏は話す。第二次世界大戦が勃発し、社会情勢の劣化、食材の入手が困難になるなど、思うように営業ができなくなったという。

 戦後、現在地で再スタートを切った。寛氏は海老フライ・ビフカツ・シチューなど、コースメニューを中心に、一代で神戸を代表する洋食店を築き上げた。その後、二代目として三男の禄夫氏が継ぎ、その後、次男の忠氏(現代表の父)が継ぐことになった。

 伊藤グリルのメインは「洋食」に加え、忠氏が考案した「炭火焼ステーキ」である。この炭火焼ステーキは、アメリカの進駐軍が持ち込んでくる米産牛肉を、いかに美味しく食べさせるか、試行錯誤の末、生まれた。「七輪で焼くと、肉がやわらかく美味しくなり、進駐軍も大変喜んだそうです」と享治氏は語る。現在、神戸を代表するステーキ店もこの流れを汲むという。

 現代表・4代目の享治氏は、フランスやホテルなどで修業を積んだ後、自身で開業を予定していた。しかし父である忠氏が体調を崩し、急遽店を継ぐことになったのは1990年代後半、バブル崩壊直後であった。父・忠氏の時代はバブル絶頂期であり、ステーキなど高価なメニューが喜ばれ、客足が途絶えることは無かった。しかし、享治氏が継いだ後、日本全体が不景気となり、おのずと売上にも影響が出始める。「不景気だけではありません。飲食店の数も増え、消費者が求めるレベルも高まりました。フランス帰りのシェフなんていくらでもいますから」と享治氏は苦笑いを浮かべる。

 社会情勢の変化に対応するには、他店との差別化が必要だった。「フレンチやイタリアンの店は沢山存在します。それだけではダメなのです」と享治氏。 享治氏は、約90年の歴史をもつ伊藤グリルが引継いできた味、とりわけ昔から変わらないと言われるビーフシチューなど、時間と手間がかかる煮物料理にこだわる。「店を継ぐ際、『歴史と洋食』で勝負することを決意しました。洋食は、洋風の日本料理です。歴史を重ね、日本人に馴染んだものでなければいけません。新基軸を打ち出すよりも、神戸で洋食を食べるなら伊藤グリルと言われるよう、もう一度原点に帰ろうと決めました」

 顧客が求めるクオリティを落とさず、手間隙と素材、提供価格のバランスを取るのは非常に難しい。価格変動があり、赤字になることもあるが肉の質は落とさない。野菜は有機栽培や肥料にこだわった農家から仕入れる。地産地消の観点から、兵庫県産にもこだわっている。これらは全てコスト度外視の行動に映るかもしれない。しかし「良い物、良いサービスは、必ず顧客に付加価値を生み出します。目先の数字だけを追いかけてはいけません」と享治氏は話す。

 そんな享治氏にも苦い経験がある。過去に大型ショッピングモールへの出店を行ったのだ。マーケティング不足など、様々な要因から軌道に乗らず、結果的に撤退を余儀なくされた。「あの時は外部からの誘いで調子に乗り、自身で冷静に市場を分析することなく、売上拡大のみを考えてしまった。老舗店ということに奢りがあったかもしれません」と享治氏は振り返る。大きな火傷を負ったものの、この一件は貴重な経験となり、その教訓は現在の経営に活かされている。

 変化の激しい今日、今後の経営を見据えた際、地元客を大切にすることも重要だ。同店の名は市外でも有名で、観光客も数多く来店するが、地元神戸の人にいつでも気軽に来店して欲しいとの願いから、近年、同店一階に廉価版店舗「アシェット」を開店した。2階の伊藤グリルはハレの日に、1階のアシェットは普段使いにというコンセプトだ。来店客からは「あの名物カレーが気軽に食べられてうれしい」という声も寄せられる。

 また、インターネットやスマートフォンの普及により、消費者の店選びが変化してきている。ガイドブックや雑誌などで事前に調べて予約するのではなく、現地で周辺情報をスマートフォンで調べ、当日に予約を入れてくることが多くなっているという。将来はこの傾向がさらに高まると予想されるため、同店ではこれらの対策にも余念が無い。

 まもなく創業90年を迎える伊藤グリル。伝統の味を引き継ぎながら、老舗店というブランドに胡坐をかくことなく、享治氏の新しい挑戦は続く。すべては「神戸で洋食を食べるなら伊藤グリル」と言ってもらえる店で有り続けるために。

(経営指導員 若宮豊)