No.29

2012-10-15

有限会社シンタニ

代表者
新谷三男
創業
1963年
業種
精密機械金属加工
住所
神戸市東灘区向洋町東2-7-3
電話
078-857-1668
大きい地図で見る

人づくりを中心に据えたものづくり

六甲アイランド工業団地の一角に精密機械金属加工の老舗、有限会社シンタニの本社・工場がある。
神戸出身である代表の新谷三男氏は、高校卒業後、地元の鉄工所で旋盤工として働き始めた。将来は独立して事業を興したいという夢を抱き、1日12時間という長時間勤務に耐えながら、金属加工の知識と技術を貪欲に学び、必死になって腕を磨いた。
10年間がむしゃらに修行を積み、職人としての自信が芽生え始めた昭和38年、灘区大石北町に小さな鉄工所を構え、念願の独立を果たした。

当時は高度成長期の真只中。業界全体が活況に沸く時代だったが、同社のスタートは、同業の友人や以前の勤務先から細々とした仕事を回してもらう地味なものだった。
営業には不慣れな新谷氏であったが、地道に受注見込先への訪問を重ね、持てる技術をアピールするうちに、徐々に取引先が増え、やがて大手からも仕事を受注するようになった。こうして会社が回り出し、工場が手狭になる度に移転を繰り返した後、昭和61年、六甲アイランドに現在の本社・工場を建設し、今日に至っている。

「いいものを安く作る」。新谷氏が創業当時から常に心掛けていることである。これを実現するため、人づくりに徹してきた。
新谷氏の人づくりは、「人を見ること」が基本。社員の動きを数年にわたりじっくりと観察し、何が得意か、どこで躓きやすいかなど、各自の能力や適性を丹念に見極め、社員をどの方向に導くべきかを決めていく。「一人前の職人になるには20年かかることもある。適性を見誤ることは取り返しのつかない損失に繋がる。それぞれの可能性を見出すことはとても苦労する仕事だが、経営者として欠かすことのできない大切な役割。8名の社員が、思う存分力を発揮できる環境を今後も作っていきたい」と力強く語る。

また、現場第一主義も貫く。77歳の現在も旋盤加工では、現役として製作現場に携わり、若手と意見交換しながら、マニュアルでは伝えきれない技術や感覚を伝え、人材育成に努めている。

同社が製造する製品は多岐にわたる。銅管や鉄管の製造機械部品、ビニール製品切断用機械の部品、エアコン配線工事で使用する部品の製造機械等々・・取り扱う製品は多品種少量であり、一点ものも少なくない。ロット数が確保できないため、元来、低価格で作ることは難しいが、徹底した合理化と工程の工夫で常に競合他社より低い価格を維持してきた。

だが、同社が選ばれる理由は、価格だけではない。技術の高さと納品の早さ、これこそシンタニの強みである。創業間もない頃、鋳造で使う鋳型を納めていた取引先から、「新谷さんのところが一番精度が高く、納期が早い」と評価された。また、現在のように電子制御によるNC旋盤機が普及していない当時、ミクロン単位(100万分の1)の加工精度を出すことは至難の業だった。しかし、長年に亘る研鑽により、それを可能にしていた新谷氏は、その技術力で顧客の信頼を獲得していった。

納期に対する意識も厳格だ。「明日の昼頃までに納品してくれ」とかなりの無理を言われても、取引先の生産スケジュールを第一に考え、必死の思いで間に合わせたことや、他社で2カ月かかるものを1カ月で仕上げたこともあった。従業員には残業や休日勤務をさせてしまうが、誰一人不満を漏らす者はいない。

そうした苦労の積み重ねと丁寧な仕事ぶりが、現在も取引先から高く評価されている。

現在は堅調な経営を続ける同社だが、苦労話もある。
阪神・淡路大震災の際、灘区にあった工場が全壊し、完成間近の4000万円の製品も損壊した。一から作り直して納品出来たが、製作費が膨らみ大赤字を計上したという。「天災とはいえ、小さな会社にとってはかなり大きなダメージを負った。やりきれない思いだったが、なんとか振り切り、仕事にまい進した」と当時の心境を語る。

また、20年以上前に、「清水の舞台から飛び降りるつもり」で数千万円もの機械設備を導入した。購入当時は充分なスペックを備えていたものの、仕事の幅が増えてくると対応できないケースも出てきた。新谷氏は「巨額な設備投資だっただけに、経営者として先々を見据えた判断の重要性を身に染みて感じた」と苦笑する。

リーマンショック以降、景気低迷が続いており、さらには昨今の円高で製造業の海外シフトが加速している。今でこそ、国内市場向け製品に携わっているため、特段の影響を受けていない同社だが、下請け部品加工を営む中小の鉄工所を取り巻く経営環境は、予断を許さない状況にある。新谷氏も「昔は競合する企業も多かったが、年々淘汰が進み、うちのような小規模業者は、数える程になってしまった」と寂しげに語る。

そんな新谷氏の心の支えとなっているのが、息子の存在だ。同社が製造する機械部品の設計は、息子が経営する有限会社向洋機械が担当しており、いずれシンタニの経営も引き継ぐ予定だ。「息子は私が味わってきた苦労の数々を目の当たりにしてきた筈、それでもこの仕事を継ぐ決断をしてくれたことは、本当にうれしい」と新谷氏は相好を崩した。

長年にわたって培ってきた信頼を礎に、息の合った親子の連携プレーを加えて、シンタニはこれからも時代の荒波を乗り切って行くことだろう。

(経営指導員 鍛治町明子)