No.12

2011-09-05

島谷商店

代表者
島谷正知
創業
1946年
業種
麺類の製造・販売
住所
神戸市垂水区神田町6番7号
電話
078-707-3978
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麺づくりに懸ける熱き職人魂

 創業は1946年、先代である島谷春治氏が、現在の垂水廉売市場で製麺所「島谷商店」を構えた。先代は、戦前に旧オリエンタルホテルの厨房で修業を積んだ料理人。地元大手企業の社長専属の調理師として引き抜かれるほどの腕前であった。しかしながら、戦時中の混乱により、洋食店を開くために蓄えた資金を失い、前妻と死別したことが追い打ちとなり、料理人を辞めて別の道で人生を再出発することを決意した。

 戦後の垂水区は、神戸のベッドタウンとして人口が急増し始め、地域の発展性を感じた先代は、「戦後の食糧難で米の流通が乏しく、米国から大量に配給される小麦粉により主食が麺に転換する」と考え、JR垂水駅南側の国道沿いで営業する製麺所で一からうどんの製法を学び、現在地で製麺業を始めた。後に2代目となる正知氏は、小学5年生になると自転車の荷台に蒸籠(せいろ)を積み上げ、近所の飲食店に麺を配達するなど、家業を率先して手伝った。高校1年生の時、麺づくりを支えてきた母親が亡くなり、後継者として本格的に麺づくりを手伝い始めた。「最初の頃は、立ち上る湯気と格闘しながら苦労したが、毎朝4時から製麺所に入り、父から手ほどきを受けて技術は格段に向上していった」と語る。製麺職人として自信が芽生え始めた25歳で結婚したのを機に、先代から島谷商店の看板を譲り受けた。

 正知氏は、先代からの手作業を重んじた製法を頑なに守り続けている。「麺(うどん)の材料は小麦、塩、水の3つ。シンプルなだけに、原材料にはこだわり抜いている」と語る。同時に「材料の微妙な配合比率と手間を惜しまない製麺工程こそが仕上がりの決め手」と打ち明けてくれた。麺づくりの最初は、小麦粉に水を加える加水工程。小麦粉の状態は、その日の天候によって微妙に異なるという。小麦粉の湿り気を手触りで確認しながら、長年の経験で培った感覚を頼りに、慎重に水を注ぎ、絶妙の加水比率で配合する。原材料をミキサーで混ぜる練り工程では、熱で生地が焼けてパサパサにならないよう、回転数を落とし、時間をかけてゆっくりと練り込む。続く麺帯工程では、ローラーで生地を帯状にする。麺にコシを与えるグルテン(小麦粉に含まれるタンパク質)を巡らせるため、実に6回以上も繰り返し圧力を加える。「機械の導入で省力化できる部分もあるが、手作業で微調整をしないと納得のいく商品は作れない」と語る正知氏。こうした細かな手作業の積み重ねが、モチモチとした独特の歯応えと豊かな風味の個性を麺に与える。評判を聞きつけた東京・恵比寿の鉄板料理店から注文が入るなど、食材にこだわりを持つ本物志向の飲食店から注目を集めている。

 麺の主原料となる小麦粉の仕入先は、先代から60年以上も取引が続いており、納品時には原料だけでなく、製麺に関する様々な情報を提供してくれる。正知氏は、「従来の粗塩では納得が出来ないと悩んでいた時に、甘味を含む「モンゴル塩」を紹介してくれた。実際に試してみると、麺から塩辛さが消えて独特の風味が生まれた」と語る。現在では、製造する全ての商品に「モンゴル塩」が使われている。また、手打ちうどん店でしか使われていなかった高級品種「白椿」を同業者に先駆けて導入し、透き通る白さと独特の歯触りが評判となった。既存の商品に満足することなく、先代と共に納得のいく麺を求め続け、商品開発に取り組んできた賜物である。

 阪神・淡路大震災では、「遠方の取引先から2か月分の代金は払わなくて良いから、一日も早く麺づくりを再開して欲しいと励まされ、震災から1年近く請求書が送られて来なかった」と数十年に亘る取引で培った絆を語る。

 大手製麺工場の大量生産品が市場を席巻する中、家族経営で営む“町の製麺所”にとっては、厳しい経営環境が続いている。垂水区の製麺所も、最盛期に約20を数えたが、経営悪化や後継者難で次々に廃業し、現在では、わずか2か所と淘汰が進む。正知氏は、「製麺工場で1時間に数千食ペースで生産される格安麺がある一方で、4時間以上の工程を要して数食しか製造されない麺もある。生産性や効率に惑わされず、納得のいく麺を作り続けることが大切だ」と先代から受け継ぐ「麺づくりの心意気」を強調する。

 現在、麺の主原料である小麦粉の値上がりが続いている。こうした逆風に遭っても正知氏は、「原材料の質は下げられない」と頑なに高級品種を使い続けている。「納得のいく麺しか出せないのは、先代が追求してきた麺づくりの心意気を守りたいから」と表情を引き締める。

 時代の流れに抗いながらも、先代の教えと共に独自の麺づくりに邁進する2代目に、半世紀をかけて家業に情熱を注ぎ込んできた麺職人の気概を感じた。

(経営指導員 高森良明)