No.11

2011-09-05

兵庫鉱泉所

代表者
秋田健次
創業
1952年
業種
清涼飲料製造
住所
神戸市長田区菅原通1-8
電話
078-576-0761
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リターナブルという商売

 戦争から帰還した現代表の父政明氏が、大阪で飲料水製造業を営んでいた叔父の下で修業の後、当地に於いて1952年12月(昭和27年)に兵庫鉱泉所を創業。ラムネ、みかん水、サイダー等の製造を始めた。当時は、地域ごとに飲料の製造・配達販売・瓶回収を行う小規模な飲料水製造業者が多数存在していた。
 現代表で三代目の健次氏は大学卒業後、1980年(昭和50年)に後継者として就業。1997年(平成9年)に創業者である父が亡くなった後、母親とともに事業を引き継いだ。当業界は小規模な事業者が多いため、三代続いているのは極めて稀である。

 現在、製造している商品は、おおまかに分類すると、ラムネ、アップル(みかん水)、ソーダ、ソーダ(メロン)、サイダー、レモンサワー、炭酸水の7種。おおまかなレシピは、創業当時から変わっていないという。砂糖にはこだわっており、上白糖を100%使用している。生産効率を考え、液体である液糖を使うメーカーが多いなか、溶かす手間を惜しまず、上白糖を使い続けている。「何が違うかはっきりわからないが、さっぱりしていて、後味が残らず、甘さが違う」と健次氏はいう。

 昭和40年代頃から、大手飲料メーカーの進出により、飲料の種類が大幅に増え出すとともに、技術の進展により、回収しなくてもよい「ワンウェイ」の缶入り飲料が全国に大量に流通し始めた。また、自動販売機も登場し、高度経済成長のなか、大量生産・大量販売により、市場にモノが溢れ、消費者の間にも使い捨ての文化が浸透していった。
 効率化を求める流れを受け、1966年(昭和41年)に、当事業所も含む神戸市内の数社が合同で、大きな工場を作ってみたが、輸送費等が嵩み、地域での販売コストが上がったため、1978年(昭和53年)に解散している。

 地域に密着し、家族を中心に切り盛りする当事業所にとっては、大規模工場やワンウェイではなく、小さな規模で操業が可能なリターナブルの方が合っていたともいえる。瓶と飲料を一体で顧客に届け、回収するこの商売は、規模や効率性は劣るかもしれないが、昔ながらの「顔が見える商売」であり、「売りっぱなしではない商売」といえる。

 阪神・淡路大震災では、近隣で火災が発生し、多くの被害が出たが、幸い当事業所では、工場の配管が壊れただけで、工場は燃えずに残った。しかし、火災により、300軒あったお好み焼き屋や焼肉店、風呂屋、駄菓子屋等の直販の得意先は震災後100軒に減ってしまった。「当時は、若かったからなんとか乗り切れた。今、あの震災があったら、きっと乗り越えられないだろう。東北の被災事業者のことを思うと胸が痛む」健次氏は自身が乗り越えてきた過去を振り返る。

 少子高齢化の進展により、市場縮小が進むと同時に、経営者の高齢化も目立つ。商品を得意先に届け、空瓶を持ち帰り、洗浄、飲料を充填するという、まさに体力勝負の部分もあるため、60歳代後半になって止めていくケースがほとんどという。最近まで、神戸市内に残っていた同業者2社も廃業し、現在、神戸市内で同様の商売を続けているのは、当事業所だけになってしまった。

 ラムネ瓶の世界でも変化が進む。10年ほど前からオールガラスのラムネ瓶の生産が無くなり、現在流通するラムネ瓶は、飲み口部分がプラスチックの「ねじ式」に変わってきている。理由は安全性と効率だ。

 オールガラスのラムネ瓶は当然割れることもあるし、ゴムが悪くなって玉が落ち、炭酸が抜けることがある。昔なら、「玉が落ちているから交換して」と言われるだけだったが、今は即重大なクレームになる。最近では、ラムネ瓶を購入し、家に持ち帰ったお客から、どうやって開けるのかという問い合わせも入ることもあるという。
 ガラス瓶の飲み口破損によるケガの防止、洗浄時のリスク軽減(瓶の形状が複雑なため、汚れが落ち難い)、製造工程の効率化(ガラス瓶にビー玉を止めるゴムを装着するのは手作業)等の理由により、飲み口部分がプラスチックのラムネ瓶が誕生した。

 時代が変化し、消費者の安全安心意識が高まると同時に、大手メーカーは味気ないペットボトル式のラムネにシフトしている。昔ながらの味があるオールガラスのラムネ瓶を未だ扱っている当事業所では、検品作業に神経を使う日々が続く。

 リターナブルの場合は、瓶は単なる容器ではなく、商材の一部である。商売を拡げるには、客先での在庫も含め、それだけの瓶が必要となる。昔は、商売を止めるときにも、瓶を同業者に売り、換金することができるため、「瓶は宝」と言われていた。
 清涼飲料水の場合は、瓶の形がメーカーにより異なり、直接商品名を印刷しているため、ラベルが擦り減り、長期の使用はできないケースもあるが、ラムネは統一規格で、ラベルが紙であるため、他社が使用していた分もそのまま利用できる。運良く割れなければ、30年、40年と使用可能であり、現在流通している瓶の中にも、昭和50年代に製造された「30年選手」も存在するという。子供の頃、親が飲んだ同じラムネ瓶を子供が飲むこともあるということだ。

 時代は変わり、瓶の財産としての価値は無くなってきているが、今でも商売柄、瓶を失うのは耐えられない。ときどき、お祭りの際、イベント主催者等から購入の依頼があるが、使い捨てに慣れた消費者が瓶を捨てるのは忍びなく、割れたら危ないということもあって、別会社のプラスチック製の瓶を薦めている。

 また、ホームページがない当事業所を一般の方がネットで紹介しているのを見て、遠隔地より発注依頼を受けることもある。瓶の回収が前提の商売であるため、依頼主の地域に残っている製造会社に注文してくださいとお断りしているという。「瓶代払うから」という声も多くあるが、ワンウェイは当事業所の商売ではない。

 斜陽的な産業だと秋田氏は言われるが、逆に、現在は市内に一軒しかないため、競合もなく、存在価値が高まっている。使い捨てではないエコ商品として見直す機運も出てきており、最近では、地サイダーブームという追い風も吹いている。
 苦労は多いが、今後も自動販売機やワンウェイにはできない地域密着、造り手の顔が見える商売を末長く続けていただきたいと思う。また、味のあるラムネ瓶等、日本の庶民文化を守っていく意味でも、地域として支えていく必要性を感じる。

(経営指導員 納田秀史)