No.10

2011-09-05

亜細亜貿易株式会社

代表者
川上和雄
創業
1951年
業種
クリスマス用品製造・卸
住所
神戸市中央区港島南町1-3-2
電話
078-303-0170
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欧米のセンス×日本の繊細さ

 かつて神戸には数多くの外国人が居住し、クリスマス用品の製造が盛んであった。欧米各国にも輸出され、高い評価と人気を博し、アメリカからの発注が本格化した後には量産体制が確立。その後、地場産業として定着し、戦前には、紙、木、ガラス、アルミ箔、セルロイドなどの素材でモールやホイルベルなどが生産されるようになり、製品ラインナップもバラエティに富んだ。
 こうした時代背景の下、同社は1951年、現社長 和雄氏の父、春美氏が貿易商社として設立した。当時はクリスマス用品のほか、文房具なども扱う企業だった。和雄氏は事業開始2年目ぐらいから家業を手伝い始め、1983年に事業を引き継いだ。

 春美氏は船場で丁稚奉公の後、上海に渡り、貿易業を開業し、順調に経営を行っていたが、敗戦により裸一貫で引き揚げ、和雄氏ら家族を疎開させ、単身、神戸にて商社に勤めた後、1951年に独立した。現在も法人設立当時の「金看板」が事務所の入口を飾る。
 法人設立後、神戸のクリスマス産業は全盛期を迎える。戦前から付き合いがあった外国人バイヤーらが協力してくれたお蔭もあり、同社は非常に繁盛した。1960年頃にはアメリカの大手スーパーであるKマートとの取引が始まり、最盛期を迎える。アメリカ本土から来日したバイヤーが一日で一年分の売上にあたる仕入れを行うほどで、和雄氏は「今では想像ができない何十万個という単位の取引をしていた」という。

 その後、1970年初頭にドルショック、オイルショックなどが立て続けに起こり、輸出業に大打撃を与えていく。和雄氏は「360円から250円、200円と急速に円高が進み、輸出がダメになった。日本のクリスマスメーカーは激減していった」と当時の苦心を振り返る。クリスマス用品の主産地は、日本から中国や東南アジアへと移った。現在では国内で販売されるクリスマス用品の大部分が、これらの国からの輸入品によって占められている。かつての数多くいた同業者も廃業に追い込まれ、現在はほとんど残っていない。同社が加盟していた日本クリスマス工業組合もやがて解散してしまった。

 1980年代に入り、海外からのバイヤーとの取引も無くなり、新たな活路を見出す必要に迫られた同社は、製造・卸の道を模索。90年には自社商品の製造に乗り出した。国内での営業にも注力、社長自ら飛び込みで懸命に営業活動を行った結果、大手生活雑貨専門店に販路を見出すことに成功した。その後、順調に売上を回復し、危機を脱した和雄氏は「長年、貿易商社として、海外のバイヤーとの付き合いがあり、フランス、デンマーク、スウェーデン等、欧米のクリスマス商品に熟知していた。日本でも売れるものを造る自信があった」と当時を振り返る。

 量販店に商品が並び出した当時は、店頭に立ち、自社商品を購入した顧客を追いかけ、なぜ自社商品を買ってくれたのかを聞いてまわったという。「自分が心血を注いだ商品が売れなかったら、あきらめる。でも、これでもか、これでもかと打ち出していくと必ず反応がある。輸入品に負けない良いものを提供していきたい」。商品開発への情熱は尽きない。

 現在は神戸や大阪の業者、一部中国などからも様々な材料を仕入れ、クリスマスツリーやリース、ベルなどを手造りで製造している。特に主力商品は、社長自身が国内や中国の業者を訪ね歩き、納得がいく品質のものだけを使用しているという。材料の選定には妥協しない。欧米の流行や日本人の趣向を分析し、和雄氏が世に打ち出したオリジナルブランド「KAZ工房from神戸」も徐々に認知度を高め、定着しつつある。これまでに多くの輸出品を扱ってきた目利きと経験が、造り手に転向しても強みになったといえる。

 「低価格商品を単純に販売しているだけでは絶対に生き残れない」と和雄氏は強調する。同社では、仕入れてきた材料や商品をそのまま販売することはない。必ず和雄氏自身のアイデアによるアレンジを加え、海外からの輸入品とは一線を画す商品を創りあげる。欧米のセンスと日本の繊細さを持つ付加価値が生まれるのだ。
 大手量販店に納入する際はロットが大きいため、必然的に自社内での製造量も増える。また、和雄氏が流行や新しいアイデアを取り入れていくため、毎年デザインなども変わっていく。

 同社が扱う商品はオリジナルの手造り商品となるため、一つ一つ人の手で造り上げる作業となるが、単純に多くの人間に作らせてしまっては、どうしても品質にばらつきが出てしまう。そこで和雄氏は、製作は自分で選んだ人物に限定して依頼している。

 「手造りの商品は、造り手の気持ちがこもらなければ付加価値となりません。小型ツリーやリースのリボン結び、色染め加工なども作業者の手本となるよう、自分が率先して行います。小さなアクセサリーの飾り付け位置なども、細部までこだわっています」と和雄氏は自信を見せる。さらに、自身が納得いく水準の商品を完成させることができるようになるまで、作業者の横に付き、根気強く指導・チェックし続けていると言う。

 中国・東南アジアからの安価な輸入品が多い中、「妥協をせず、良いものだけを提供したいという気持ちで造り続けてきただけ」という和雄氏のまじめな姿勢が、量販店のバイヤーや購入者の信頼に繋がっているのだろう。自ずと販路も拡がり、近年はネット販売でも売上を伸ばしてきている。また、「クリスマス用品としてだけではなく、ケーキ屋さんなどのディスプレイなどにも使ってもらいたい」と和雄氏は新たな展開も視野に入れている。

 神戸のクリスマス産業が興って以来100年の時が経ち、現在では数千種類のクリスマス用品が世界中で販売されている。その中にあっても、神戸産の商品は命脈を保ってきた。時代の変化という荒波を受けながらも、輸出業者から製造業者へと変化・対応を遂げてきた同社は「これからも神戸地場産業の伝統の灯を守り続けていきたい」と創業当時の精神を継承し、社名も変えることなく、前を向いて走り続けている。

(経営指導員 若宮 豊)